群れから離れて生きていたい

楽に呼吸できる生き方を求めて

日記を書くということ


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過去の日記を読み返すと、
今の自分を"言い訳"で守ることができなくなるから好き。

たくさんの過去の自分が、現状に通じる選択をしてきたと自覚できるので、

自分の選択の積み重ねが今であると、突きつけてもらえる。

日記を書くことは、
未来の自分が逃げないように、先手を打つことのような気がします。

と同時に、

自分が得てきた幸せを思い出させてくれる。

いっぱい笑って、
いっぱい泣いて、

生きた時間の分を生きていたんだと教えてくれる。

日記は、過去から未来へ送る自分へのプレゼント。

過去の自分が今の自分を律し、笑顔にしてくれる。

そこが好き。

意識しなければ見えないもの


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夕日は毎日見られるものなのに、
意識しなければ毎日見過ごしてしまいます。
 
一日の中の全ての瞬間が、
本当は一度きりの瞬間の連続なのに、
 
たくさんのことを見過ごしてしまいます。
 
 
目の前にいる人のことだって、
意識しなければ全てを見過ごしてしまうことがあります。
 
自分の傍にいる人のことは、もっと見過ごしてしまうことがあります。
 
 
朝、いってらっしゃい!と声をかけた家族や恋人の顔をちゃんと見ていただろうか。
 
友達と、またね!と別れるとき、ちゃんと顔を合わせられていただろうか。
 
当たり前に傍にいる人が一番大切なはずなのに、
 
当たり前に傍にいる人が一番見えなくなる。
 
 
素敵な瞬間は、いつだってそこにあるのに、
 意識しなければ毎日見過ごしてしまいます。
 
今日が最後かもしれない。
 
そう思わない限り、
大切なものを大切にできないくらい人は弱いものだと思います。
 
大切なものを当たり前に大切にできるように、
 
今日が最後かもしれない。
大事にしたいです。

色んな道がある

その道を走っているからこそ見える景色を味わおう。
そう思うだけで、一瞬一瞬が見逃したくない大切な景色の瞬間になる。
 
その思いが、宝物の記憶を増やしてくれる。
 

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強いということ

仕事や人生が安定しているときは、

安心してしまって、
いつの間にか守りに入ってしまいます。

その心は、気をつけなければ、
あっという間に黒く重くなります。

何か事が起きたとき、
何か外的要因による変化が起きたとき、

自分が何もしていないから、事が起きたことを、

自分が何もしていないから、対処できなかったことを、

自分は何もしていないのに、
なんでこんな思いをしなければならないんだ!
なんでこんな運命になってしまうんだ!

と、誰かや何かのせいにする心に変わってしまいます。

安心できることは幸せだけれど、
気をつけなければ、
油断し、気を抜き、選択が甘くなります。

いつの間にか、
考えることをしなくなり、

これがいい!という選択ではなく、
これでいい。という選択をしていくようになります。

仕事があることを当たり前に感じ、

「これくらいでいいだろう」という甘えや傲慢のある仕事をし、

関わる人に、「これくらいでいいだろう」という心で生まれたものを届けることになり…

悪循環を生む芽を育てることになります。

安定しているときほど、
色んなことが試されるんだと思います。

安定からくる誘惑に負けない強さを持つことが、強くなるということかなと、

そんなことを思います。

悪循環を食い止める"選択"の力

何か苦労を背負ったとき、

社会的立場の弱い方へ追いやられてしまったとき、

 
その原因の中には誰かや何かのせいもあるのかもしれない。

 
社会がもっとよくなれば、

政治が、経済が、会社が、今ある社会の仕組みが、

変われば、自分たちはこんな状況で生きていかずに済んだということは多々あるかもしれない。

 
だから、そういう大きな力を変えていこうと活動をしたり、努力していくことはとても大切だと思います。

 

でも、そういう大きな力を変えて、その変化が現実に現れるまでには、

数年、数十年という時間がかかることがほとんどです。

 

今、苦しい立場に追いやられている人が、良い立場にいくということは、

今、良い立場にいる人が、苦しい立場に追いやられてしまうということでもあるので、

 
何かが変わっても、結局、誰かが誰かを憎むことも変わらない。

 
せっかく何かを変えることができても、

憎む思いが、また何かを歪めてしまう。

 

もしも、そんな悪循環を少しでも食い止める方法があるとしたら、

 

それは、自分の人生は自分が選択した結果なんだ、ということを、

一人一人が自覚していくことなんじゃないかなと思うのです。

 

たとえば、

 

今、自分のいる環境が辛いならば、


そもそもどうしてその環境にいることになったんだろう?と思い返してみる。

 
それしか選択肢がなかったから仕方ない?

 
でも、これまでその環境で耐え忍ぶために頑張って、使ってきたエネルギーを、

それ以外の選択肢を増やすために使うこともできたのに、

しなかった。

 
という選択の結果があるということを忘れてはいけないと思うのです。

 


今、お金に困っているとしたら、


そもそもどうしてそのお金が必要だったのだろう?と思い返してみる。

 
学ぶために、仕事のために、家族のために、必要だった。なら、

そのためにお金を借りたという選択の結果がある。

借りると引き換えに、得ているものがある。

 
何かのためにお金が必要で、借りるしかなかったとしても、
 
その何かのために必要な金額を少なくする方法を探すという選択肢もあるし、

その何かではない選択をする、という選択肢もある。

 
でも、そういう選択肢を探すには時間がかかる。

 
その時間をかけずに、自分に必要なものを求めると選択をした結果、

 
あるいは、時間をかけられない状況に、自分を追い込んでしまうような選択をしてきた結果、

 
必要な金額があり、借りる必要があった、という選択の結果があるということを忘れてはいけないと思うのです。

 

 

自分は毎日、何を選択してきたんだろう?と振り返れば

 

政治や経済や会社や社会や、誰かのせいにする前に、

 
今の自分が、将来の自分のために、

自分で自分を守る選択をする機会はあったということ、

 
今の自分の現状に至るまでに、

小さなことから大きなことまで、日々、選択してきた事実があるということに、

気づくことができます。

 

弱い立場の自分が、大きなものの力に流されずに生きることは難しくても、

 

一つ一つのことを、一回、自分で考えてみる。

選択するかどうか考えてみる。

どうして、それを選択しようと思っているのか考えてみる。


自分の人生は自分で選択している、ということを思い出してみる。

 

それなら、

社会が変わらなくても、

何十年も待たなくても、

 

今から変えられるものを、

自分の力だけで変えられるものを、

増やしていける。

 


そうしてまずは自分が、悪循環を生みださない人になろうとしてみる。

そのために、成長しよう、賢くなろうとしてみる。

それが今の自分にできる、

自分や周りにいる人を救う手だてになり、
大きなものの力に流されずに生きる力になるのではないかなと思います。


不況の中にある豊かさ

不況という言葉を聞くといつも思うことがあります。

例えば、豊かさって何だろうと考えたとき、

私は、

たった一個のお茶碗を、30年でも50年でも使い続けて、毎日ご飯を食べることだと思います。

そのお茶碗を持つと、30年分の毎日の歴史の重みを感じられるなんて、豊かですよね。

お母さんやお父さんやきょうだいと一緒にご飯を食べた時間、

友達や好きな人と一緒に食べた時間、

そしていずれは、旦那さんや奥さんや、自分の子どもや孫とご飯を食べた時間も刻まれていく。

たった一個のお茶碗が見てきた景色の厚みが、手を通して自分に伝わってくる。

そんな時間の積み重ねを物と過ごすことができたら、
それはとても豊かだと思います。

でも、景気がよくなって豊かだと言われるようになるためには、

その30年や50年の間に、
お茶碗を何百個でも、何千個でも買い替えた方が豊かになる仕組みがあります。

もちろん、そうあった方が育つもの、成長できるもの、もっと豊かに発展していけるものがたくさんあるのは分かります。

私だって新しいものを欲しくなるし、お金をたくさん得て欲しいなぁと思うものもたくさんあります。

それを残すためにも、もっと良くして未来に伝えていくためにも、景気をよくしていかなければならないのも、よく分かります。

若い世代の一人として、私も頑張っていこうと思います。

でも、不況になるといけないということはないと思うんです。

それこそ、人が心を温かくして生きていくために必要な豊かさの本質は、不況の中にあるような気がします。

豊かさについて言葉にするのはとても難しいけれど、

少なくとも、

こうでなければ豊かになれない。
ということはない、ということは胸を張って言えます。

その状況、その状況に、必ず豊かさの側面はあるんだと思います。

それを見逃さないことが、一生懸命生きるってことじゃないかなと、私は思います。

時間の主導権は誰にある?

自分の命の時間の主導権は誰にあるだろう?

時間が経つということは、
命の時間が短くなったということ。


本当は時間よりも優先させたいものなんてないのに、いつのまにか"時間"の価値は隅っこに追いやられてしまう。

お金のためとか、
輪を乱さないための付き合いとか、
老後のためとか、

もしも命があと半年ですよと言われたら、決してしないであろうことにどんどん時間を使っていってしまう。

自分の命が、
大切な人の命が、

あと半年だったら、
あと5年だったら、
あと10年だったら、
あと30年だったら、

そうやって残りの時間に思いを馳せながら、
今を考えていくことを決して忘れたくない。

日常生活の中でこういうことを考えていくのはとても大変なことだけど、
その苦労を上回るほどの価値があるのが、
"時間"なんだと思います。




群れない人生は選択から始まる

自分で選ぶ。
この積み重ねが群れない人生を歩む道になる。

その道は危険だと思ったら、
たとえ大勢の人がその道を進んだとしても、
自分の判断を信じて道を変えられる自分であるか?

今、それをするのは本質からズレると思ったら"やらない"という選択のできる自分であるか?


他の誰が信じてくれなくても、
自分だけは、自分の判断を信じてあげられるか?

群れない人生とは、

自分をとことん信じてあげられるかどうか?ということなのかもしれない。