群れから離れて生きていたい

楽に呼吸できる生き方を求めて

耐え忍ぶ人生の副作用

頑張ることの目的は、メディアに出せるような結果をだすことではなく、自分が自分の人生に満足できるかどうかのためにするものだと思う。

少なくとも私はそのためにがんばっている。
自分で自分を笑顔にしてあげたくて。

それを間違えるから悲しいことが多くなるんじゃないのかな。

報われない頑張り方をしている人は、耐え忍ぶことが頑張ることだと思っているように感じるの。

でも、耐え忍んで得るものは、悪循環しかないように思うんだよね。

こんなこと、耐え忍んで頑張ってきた人にいうと、自分を守るために、とても怖い人になってしまうので、

そういう人と接すると、いつも、

うぅぅぅぅ、それが耐え忍ぶことの副作用だよーって悲しくなります。

「私が頑張っているのは、私が頑張りたいからだよ」という人は、自分は自分、人は人ってちゃんと分かっているから、人に暗い感情をぶつけることがない。

でも、「自分はこんなに頑張っている!!」という気持ちで生きている人は、

「この辛さを分かってくれ、なんで分かってくれないんだ!」という怒りや

「あなたも同じくらい頑張りなよ!頑張らないとダメなんだよ!」と、自分と同じように頑張ってもらいたくなってしまう。

それが、周りにいる人達を傷つけているということに気づかなければ、不幸の連鎖が始まってしまうと思うのです。

耐え忍んでいる人は、耐え忍ばなければ幸せになれないと思っている。

だから、一見、耐え忍んでいるように見えない人が幸せそうにしていると、

自分が耐え忍んでいることが、無駄なことのように思えてしまって、「自分のこれまでは、いったいなんだったんだ?」ってことから考えないといけないので、

それを見ないために、必死になって自分で自分を守ってしまう。

だから、人に対して、
「今はいいかもしれないけれど、そんなんじゃこの先はダメになる」と、相手を批判するような視点でしか見られなくなってしまう。

これじゃ、どんどん悪循環が広がっていっちゃうよ。

確かに、耐え忍んで、頑張る時も必要だよね。
自分が成長するために、ここは踏ん張り時だってこともある。

でも、それだって自分ががんばりたいからがんばっているんだよ。

自分が耐え忍んで生きているのかどうかは、

外からみて楽しそうに生きている人の生き方を見て、受け入れられるかどうか、

「あぁそういう生き方もあるんだ♪」と思えるかどうかで分かると思う。

自分とは違う人と会った時に、自分を守る必要がない時は、
良い頑張り方をしている時だと思う。
それが自分のバロメーター。

嫉妬、批判、「そうはいっても、あいつもいつか落ちるさ!」などとひねくれた物の見方をしてしまう時、

「そんな生き方がずっと続くはずがない」と思ってしまう時、

楽しそうに生きている人に会った後に、どっと疲れる時、
自分が急激に落ち込んでしまう時、

それは良くない頑張り方をしている時のサイン。

幸せそうな人をみて自分も幸せを感じられるような、そんな頑張り方を模索したい。