読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

群れから離れて生きていたい

楽に呼吸できる生き方を求めて

力を得るのと引き換えに失う力

私の思う“成長”について。

ここ1年ほど考えていたことを、
やっとすっきりいく理解ができました。

 

まだ落とし込んだばかりなので消化していないと思いますが、
少し言葉にしてみようと思います。

 

先日、ポルシェで500㎞ほど移動した後に、軽自動車に乗ることがありました。

 

助手席に乗りながら、道行く車を眺めていたら、ハッとしたんです。

 

パワーのあるものと接するとは、どういうことかということについて。

 

たとえば、

ポルシェが近づくと、
自然と道が開かれていきます。

 

もちろん例外はあるけれど、

 

ほとんどの人は、自分の車の後ろに真っ赤なポルシェが近づくだけで、
道を開けてくれる。

 

だから、パワーを出してスピードを上げているだけで、
どんどん道を進んでいくことができるし、

 

流れを読むとか、
どの道を通ると最短かとか何も考えなくても、


早くスムーズに目的地に到着できてしまったりする。

 

 

でも、軽自動車で移動するときは、そうはいきません。

 

まず誰も道を開けてはくれない。

 

無理して突っ込むか、
嫌がらせのように煽るかしない限り、

普通は流れに乗って走るしか選択肢はない。

 

だから自ら流れを読んで、
周りの車を見ながら、先読みして工夫して走っていかなければ、
流れを越えたスムーズさで進むことはできません。

 

パワーがないから、早く到着するためには、
どの道を通るか考える必要があるし、

 

色んなことを考えないと、

ポルシェと同じスムーズさ、時間で目的地に到着することはできません。

 

同じ距離を走るにも、
ポルシェのときと、軽自動車のときとでは、

意識していることも、
考えていることも、
行動の仕方も、何もかも違う。

 

ぼーっとしていても、スムーズに走っていけるものと、

 

考えなければ、スムーズに走っていけないもの。

 

どちらが成長できるかといったら、
パワーがなく、誰にも気に留めてもらえない軽自動車に乗っているときなんですよね。

 

でも、一方で、
パワーのある車を乗りこなす運転技術を磨くためには、

軽自動車ではできなくて、ポルシェのような車に乗る必要がある。

 

どちらがいいとか、悪いとかの話ではなくて、

 

“自分をいかに律することができるか"

 

それが成長の全てだと思ったのです。

 

パワーのあるものと接していたら、
自分は何もしていなくても道が開かれていくことが多くなります。

 

自分が手を抜いても、
それなりの結果や報酬を得られることが多くなります。

 

だからこそ、
パワーのある環境にいるときは、
自分を律して律して、
自分の能力にかさ上げされている部分をうんと感じて、

 

謙虚に、自分に厳しく、
行動していかなければ、

 

気づいたときには、

 

考えない自分になり、
考える力もなくなり、

 

パワーのあるものの力を借りた分、自分の力は失われていくんだと思います。

 

このパワーは、
正社員という立場かもしれないし、
大手企業や急成長の会社との仕事かもしれないし、
報酬の高さかもしれないし、
過去の実績かもしれないし、
生まれた環境かもしれないし、
パートナーの存在かもしれないし、
仲間がいると感じられる環境かもしれないし、
身に着けているブランド品かもしれないし、
誰もに驚いてもらえる“夢”を掲げることかもしれないし、
なんらかの肩書きを持つことかもしれないし、

 

色んなパワーがあります。

 

自分は一体、今、どんな力を使っているのか、使ってきたのか、振り返り、
自分を律して厳しく自分を評価することを、忘れちゃいけないなと思いました。

 

それと同時に、今パワーがないからといって、
それは何のみじめさにも、不利にもならないということはいつも凄く思います。

 

不利な環境にいた方が、
工夫できる。

 

嫌でも、考え無しの自分でも、
現状を変えるには、“考える”以外の方法がないので、

 

自分のパフォーマンスを上げる絶好の機会だと思います。

 

その状況以上に、自分の基礎力を引き上げられる機会はないとさえ思います。

 

だから、不利な環境にいるからと、
安易に、パワーのあるものを手にしようとしない方がいい。

 

それは、パワーのあるものの手のひらに乗せられてしまうことになり、
表面的には、良い報酬、良い暮らし、良い待遇を得られるように感じ、
人に自慢できる人生を歩むことになったとしても、

 

その環境から抜けたら、
その状況が変わったら、
その人がいなくなったら、
今みている幻想が解けたら、

 

何も残っていない恐怖と対面することになる。

 

幻想が解けたあとにみえる自分の環境がどんなに嫌でも、どんなに悲惨でも、

 

そこにしがみつく以外に、
自分の歩める道はないと思ってしまうほど、
弱い自分になってしまいます。

 

(本当はそこからまた力をつけられるんだけど、考えなかった時間があまりにも長くなると、現状を受け入れることしか考えられなくなることが多いので)

 

だから、本当の本当は、

何も手にしていないときよりも、

 

何かを手にしているときの方が、
うんと厳しい修行を自分に課さなければ、成長はできなくなる。

 

何かを手にしたいなら、

 

そのもののパワーに甘んじない自分作り、
器作りが必要なんだと、

 

安易に器以上のものを持つことは、
不幸の始まりでしかないんだと、

 

成長するとは、
器以上のものを手にすることではなく、
器を大きくすることなんだと、

 

器を大きくする一つの手段が、
器以上のものを手にすることなんだと、

 

目的と手段を間違えてはいけないんだと、

 

そんなこと思うドライブでした。