群れから離れて生きていたい

楽に呼吸できる生き方を求めて

"異例"が生み出す選択肢


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思うことがあり、久しぶりに大学へ行ってきました。
日曜は人が少なく貸し切り状態です。笑

どんな世界もそうですが、
組織や団体の流れに沿わない選択をする者は、

“異例”ということで叩かれることがあります。

組織なり、団体なりが成り立つのは、
“和を乱さない”からであって、
和を乱すものを許してしまったら、組織は組織として機能しなくなってしまいますものね。

そのルールに沿って苦しみながら生きてきた人の中には、
自分の人生を否定されたように感じてしまうこともあるだろうし、

組織を重んじるために必要なことと、
個人を重んじるために必要なことのバランスを取るのはとても難しいので、

組織を軽んじたと叩かれることがあるのも、道理といえば道理ですしね。

でも、その時代、その時期にどんなに“異例”なことでも、
それはいずれ、「そういう道もあるよね」という選択肢の一つになります。

そう考えると、今あるあらゆる選択肢の背景には、
“異例”だと叩かれていた誰かがいたんですよね。

嫌な思いをたくさんして、
色んな人に誤解されて、
異端者だと人に距離を置かれて、
心ない言葉に傷ついて、

それでも自分の思う道を進んで、異例を事例にして、選択肢の一つへと変えていった人達がいたんだろうなと。

それが異例であればあるほど、
理解してもらえるまでに、理解してくれる人と出会うまでに時間がかかるので、
果てしない孤独と向き合っていたんだろうなと。

そう思うと、

もしも自分が“異例”だと叩かれるような選択をすることがあったとしても、
怖くないですよね。

あぁ、みんなこんな思いをしてきたんだぁって、
辛さも軽減されるような気がします。

先人たちに想い馳せる、
過去から学ぶ、のは、

未来を生きる重さを軽くしてくれる役目もあるんだろうなと思います。

私にとって大学は、そういうことを気づく基礎を創ってくれた場所でした。

今日、久しぶりに大学の中を歩いて、

あぁ、経験をちゃんと糧にできてるって感じられて、
とても嬉しかったです。

昔よりも言葉にして理解できることが増えました。
それが何よりもうれしい。