群れから離れて生きていたい

楽に呼吸できる生き方を求めて

欲しいものが欲しい!!と思う心について

傷ついたり、
絶望を感じたり、
惨めな思いをしたくないのなら、

“自分はこれくらいだ”と早々に見切りをつければいいのかもしれない。

手に入らないものを増やしていけば、
安心と安定と安泰の人生を生きられるような気もする。

別れや誤解や偏見の生まない人間関係を築けるような気もする。

でもね、私はやっぱりその方が苦しいって思ってしまいます。

志を高く持って、謙虚さを戒めに野心を抱き、

「こんな仕事ができたらいいな!!」と楽しく夢を膨らませて行動してみて、

「カッコいい!!自分も欲しい!!」と、俗っぽい欲望もありのままに受け止め、純粋に追いかけてみる。

そういうことを、「もういい大人だから」なんて言葉で自分の気持ちをごまかさないで、
夢のまた夢に思えても、素直に夢を持てる人でありたいと思ってしまいます。

そういうことを、
自分がやりきったと思うまでやった先にあるのが、
安心と安定と安泰を感じられる、悟れた人生のような気がします。

仕事だと固いから、
私の俗っぽい欲望を例にあげるなら、

たとえば車。

呆れられるだろう覚悟で書きますが、
ポルシェは青山で、
フェラーリは広島(エムオート)で、
この人に担当してもらう、まで決まっていて、

日常的にこんなふうにガシガシ乗って、
こんなふうに遊んで、
ここを貸し切って思いっきり走ってみて、
この車でこの道をこんなふうに走って…

なんてイメージしているんですね。
手に入れられるの確定な感じでリアルにイメージできているのが、
本音なんですね。

でも、そういう夢を持つ自分を素直に受け入れるって、
とても大変です。

志ある仕事の夢ならまだ聞こえがいい。
志によっては、夢を掲げているだけで賞賛されたりすることもあります。

でも、仕事とか志とか世のため人のためとか、
そういうことを抜きにして、純粋に「これ欲しい!!」と憧れる気持ちって、
大人になればなるほど罪悪感になる。
罪悪感の分だけ自分の現在を思い知らされもする。

特に、「これが欲しい!!」というものが、権力の象徴として扱う人が多い世界のものだとなおさら。「欲しい」と思うだけで、なんだか悪いことをしているような気持ちになる。

そういう器の小さな自分の気持ちに気づいて、こりゃいかんと思い、
自分への戒め?も込めて書いてみました。


憧れに罪悪感を抱いている間に、
この人に担当してもらいたい!と思えるような人はいなくなり、
これが欲しい!と思えるような車もなくなり、
そもそも夢を抱ける自分の命の時間もカウントダウンされてしまいます。


これは何も、焦ってどうにかしたいとかそういうことではないんです。

この例だと車だけど、
他のどんな憧れに対しても、


罪悪感とか、諦めとか、そんな気持ちを持たないで大事にしてあげようよということなんです。
自分と自分の中でだけでも。


改めて考えてみれば、

自分が「欲しい!!」と思えるもの、
「カッコいい!!」「素敵!!」と胸が熱くなるようなもの、
「こうなりたい!!」「こう生きたい!!」と情熱を感じられるもの、

そういうものって、実際は本当に少ないものです。


そういうものと出会えたこと、
出会える時代に生きていることだけでも、

もう凄いありがたいことだし、
人は皆大きな運を持っているんだと思います。

豊かに大きく考える自分を失わずに、
素直な気持ちを受け入れられる器を育てようと思います。