紙と鉛筆で生まれる豊かさ
小学生の弟がトランプゲームを見ながら必死で何かを書いているのを見つけました。
何を書いてるの?と聞くと、
昨夜、家族皆で遊んだトランプゲームがとても楽しかったらしく、
でも、そのトランプゲームは借りたものだったので、返した後も遊べるようにと、一枚一枚を書き写しているところだったのです。
その姿にとても心を打たれました。
自分も買おう、と思えないところに、貧しさや惨めさ、時には卑しさを感じることはあるかもしれません。
そのトランプを返しても、今ならスマホやパソコンで遊べるゲームはたくさんあります。
そのトランプにしても、安く買う方法もあるだろうし、
ましてや書き写さないで済む方法もあります。
少ないお金と労力で欲しいものを手に入れることを考えつかないのは、弟の考えの足りないところかもしれません。
それでもこの行為には、
どんな状況でも決してなくならない、豊かさの原点があると思います。
今の自分にできる精一杯の工夫をしようとする心、
自分で作る(今回は書き写す)過程にこそ楽しさがあるという視点、
紙と鉛筆(究極は葉や枝や土や石)さえあれば、
あとは自分次第でいくらでも生み出せるものがあるという気づき、
その心さえ忘れなければ、
いつだって豊かさは生み出せるんだと、弟をみていて改めて思いました。
実家へ帰るたびに、学ぶことが多いです。