不況の中にある豊かさ
不況という言葉を聞くといつも思うことがあります。
例えば、豊かさって何だろうと考えたとき、
私は、
たった一個のお茶碗を、30年でも50年でも使い続けて、毎日ご飯を食べることだと思います。
そのお茶碗を持つと、30年分の毎日の歴史の重みを感じられるなんて、豊かですよね。
お母さんやお父さんやきょうだいと一緒にご飯を食べた時間、
友達や好きな人と一緒に食べた時間、
そしていずれは、旦那さんや奥さんや、自分の子どもや孫とご飯を食べた時間も刻まれていく。
たった一個のお茶碗が見てきた景色の厚みが、手を通して自分に伝わってくる。
そんな時間の積み重ねを物と過ごすことができたら、
それはとても豊かだと思います。
でも、景気がよくなって豊かだと言われるようになるためには、
その30年や50年の間に、
お茶碗を何百個でも、何千個でも買い替えた方が豊かになる仕組みがあります。
もちろん、そうあった方が育つもの、成長できるもの、もっと豊かに発展していけるものがたくさんあるのは分かります。
私だって新しいものを欲しくなるし、お金をたくさん得て欲しいなぁと思うものもたくさんあります。
それを残すためにも、もっと良くして未来に伝えていくためにも、景気をよくしていかなければならないのも、よく分かります。
若い世代の一人として、私も頑張っていこうと思います。
でも、不況になるといけないということはないと思うんです。
それこそ、人が心を温かくして生きていくために必要な豊かさの本質は、不況の中にあるような気がします。
豊かさについて言葉にするのはとても難しいけれど、
少なくとも、
こうでなければ豊かになれない。
ということはない、ということは胸を張って言えます。
その状況、その状況に、必ず豊かさの側面はあるんだと思います。
それを見逃さないことが、一生懸命生きるってことじゃないかなと、私は思います。